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「あんな事があったね」と笑い合えたら

結果を残さないと何も意味が生まれない

「絶対にこの会社辞めてやる」

強く心に念じたら、想いが神様に届いたのか、
私は東京に引っ越してから数ヶ月だけどその夢が叶った。
何れにせよ、いつかはこの会社を辞める事になるだろうと思っていた。給料は1年で50円しか上がらない、大した仕事も貰えないんだ。自分の力不足も大いにあるけれどここにいても、もう私は成長しない。

だから急遽、時間ができた。9月末に早々に最終勤務を終えて、1ヶ月ほど余っていた有給休暇を消化中。
最高である。永遠に働きたくない。これがずっと続けば良いのに…

次の仕事も、似たようなオンライン通販の仕事をする。だから、対顧客なので仕事の質は期待していない。きっとまた心を擦り減らすような嫌な気持ちになる事は免れない。
ただ一つ、前の会社と違う点は、自分の好きなインテリア家具に携われること。
今回の引っ越しの際に、私は次の会社の家具でダイニングテーブルと椅子、鏡、キャビネットを購入していた。
北欧家具の様な風合いがあって、あたたかく、ここの家具が好きなのだ。だから、採用を頂けた時は悶絶した。やってやった!!!と思ったし
在宅勤務の中、ゴリラの雄叫びのように1人で家で叫んだ。

だから、新しい仕事は少し楽しみでもある。
でも、私は仕事に重きを置いてないので、あ、この会社無理と判断したらきっとすぐに辞める。
楽しく仕事がしたいのだ。東京なんて、たくさん他にもあるだろう。

販売職だった20代前半、私は土日のお休みが何よりも欲しかった。大好きなアーティストのライブは決まって土曜日か日曜日だったし、周りの友人に会えるのも基本的に土日、または平日夜。
華金」というワードに無縁だった、20代前半の私。
でも、30歳を超えてからどうだろう、故郷の京都を離れて、友人と会う機会も1ヶ月に1回あれば多い方だ。行きたいライブフェスは相変わらず土日祝に開催されるけれど、そういうイベントは、友達と行くから楽しいのであって、1人で行っても共有できないし、味気なくなる。
1人行動も勿論大好きなんだけど、30代、いろんな事にお金がかかり過ぎるので
1人でお金使うくらいなら家で出来ることをした方がいいのでは…という考えになってきて、暇を持て余したりする事が増えた。
その分、本を読んだり、ラジオを聴いたりする時間が増えて、要するに何が言いたいかというと
人に会わなくてもなんか満足出来ちゃうようになってきた。
恋人が土日休みの仕事なので、そこでさえ予定が合えば、他はなんだって良い。
恋人が平日休みなら、私も平日休みでいい。

次の仕事は土曜日も月に多ければ2回ほど、出勤する日があるらしいが、暇な時間ができるくらいなら、億劫だけど、働いてもいいかと思った。金が必要だ。
恋人も本を読んだり、小説を書いたり、1人の時間が好きな人だから、案外丁度いいかもしれない。



この有意義な30代の夏休みを利用して、
私が取り組んでることは、一人旅と音楽活動だ。

まずはその一人旅のレポートを簡単に残す。

ずっとずっと、行ってみたかった銭湯があった。
それも、島。
私は基本的に持病があるのと、長距離の移動が苦手なので、今回ここに行く事に不安が色々あったけれど、尾道からフェリーで40分ほどですぐに港に到着するのと、港から宿が目と鼻の先だったので、一人旅の実行を決意した。

実は尾道に降り立つのも初めてだったので、軽く尾道も観光した。
黄色いローカル線の電車の窓から見える長閑な風景が素晴らしかった。
京都の阪急電車とは、また少し違うのどかさ。

やはりレモンが有名だから?なのか、至る所黄色まみれだった。



シトラスという名前の小さな船に乗って、生口島へ。この船がまぁ揺れたので、酔わないか心配だったけれど大丈夫だった。

イエローサブマリンに乗って
今回訪れたのは、生口島瀬戸田にある宿
「soil setoda」
隣に系列のyubuneという宿があり、目的はその宿の温泉とサウナに入ることだったんだけど、yubuneは一泊3万円ほどするので、一人旅ではちょっと贅沢だし予算オーバーとなるので
setodaさんの宿泊プランにある、yubune1回分の銭湯利用券付きで宿泊した。
海が穏やかで、ずっと眺めていられる部屋を予約した。夜も、早朝も、部屋から海を眺めることができる。本当に素晴らしい部屋だった。

今日から移住してきたんです
晩御飯は、setodaの宿の1階にあるご飯屋さんで食べた。その時、横に座っていた女性がそう話していた。
瀬戸田には、店と宿の人以外、外国人しかいなかった。まさかこんな小さな島にまで、外国人がいるとは思ってなかったので、それに1番びっくり。
そしてみんな、ロードバイク用の服を着ていて、細い。みんなサイクリングするためにここに来ていた。私みたいに、のんびりしっぽり自転車も漕がず部屋でのんびり海を眺めるためにここに来たっていう人間は、数少ないのかもしれない。

と思って、次の日は電動アシスト自転車をレンタルして、サイクリングしてみることにした。
3時間2000円プランと、1日3000円のプランがあったんだけど、3時間しか乗らないって人はいるんだろうか?絶対このプランなら1日乗り放題で3000円の方が良くないか?




生口島から、多々羅大橋を渡って、愛媛県大三島に入った。
レモンを沢山お土産に買って、リュックに詰め込んだ。重かった。何で宅急便で送らなかったんだろうと後悔した。
大三島の道の駅には、昔恋人と訪れたことがあった。懐かしい。あの時は少し曇っていたけれど、一人旅の時は奇しくも快晴だった。
私は雨女なんだけど、どうやら1人の時はあまり雨は降らないのかも。人といる時に雨を発動させてしまうの、やめてくれ。

あとでGoogleマップでその日の移動距離を確認してみると、20キロほど自転車で漕いでいたらしい。その日の夜は、筋肉痛が酷くて眠れなくなった。

期待していた銭湯は、期待通りの美しさで、
サウナの温度もちょうど良く、水風呂も意識が飛ぶかと思うくらいキンキンに冷たくて最高だった。
個人的には、2日目に入った方の浴場の方が
タイル張りが全体的に群青色で美しかった。
外国人のお客さんが、ブクブクと湯船から泡が出てくる事に興奮しているのが可愛かった。
湯船にゆっくりと浸かる文化のある日本に生まれて本当によかった…私



次の日朝食も宿で頂いて、瀬戸田を後にした。
一人旅、やっぱり寂しいと感じたから、
次は誰かと行きたいな。やっぱり。

また会えるよね って声にならない声

日曜の夜、母方のお爺ちゃんが死んだ。89歳だった。
お爺ちゃんは、一年前からお婆ちゃんと一緒に施設「楽しい家」に入っていた。もう、私の顔は覚えていなかった。

小さい頃、よく弟と一緒にゲームで遊んでもらった。花札での坊主巡り、トランプで神経衰弱。ファミコン、プレステでぷよぷよ、将棋もした。
私は将棋が全くできなかったけれど、どんな一手を出してもお爺ちゃんは「栞ちゃんはすごいっ!強いなぁ、お爺ちゃんの負けや。」と言ってくれた。
私が小学2年生の時に1型糖尿病を発症し、入院した時は、弟の面倒をお爺ちゃんが見てくれていたそうな。

日蓮宗のお経を、初めて聞いた。右手でお坊さんは木魚をリズムよく叩き、左手で大きなおりんを鳴らす。器用に2つを別々で叩いて、まるでドラマーのようでちょっと面白くて弟と笑った。

お爺ちゃんが亡くなったという知らせは突然だった。東京に7月から引っ越してきた私は、その日の夜、渋谷のWWWでmei ehara と ゆうらん船のライブを鑑賞している最中だった。
ライブ中にラインが来ているなぁと思って、母からのLINEを呼んで、あー、そっかぁ。と思った。

5月のGW前に、お爺ちゃんは施設で倒れた。
脳の中に水が溜まり、脳幹にダメージが出た。
そこから、お爺ちゃんは寝たきりの植物人間になった。
もう、私の顔なんて覚えてくれて無いとわかっていたけど、「お爺ちゃん」と何度も声をかけた。
母曰く、お爺ちゃんは大の病院嫌いだったようで、怪我をしたり体調が悪くなっても、病院に行かなかったそう。80歳を超えてもタバコが大好きで、ずっと吸っていたけれど肺炎にもならず、お爺ちゃんは人生で殆ど病院に行った事がなかったらしい。
そんなお爺ちゃんは、脳に水が溜まり、意識がなくなってから、1日3万円という高額な医療費がかかるというICUに入れられた。
沢山の管が、お爺ちゃんを生かしていた。

お母さんは、自立が早い人だからか、5月にお爺ちゃんがもう長くは無いと悟っていた。
もうヨボヨボのお爺ちゃんやからな。と、母は特に悲しそうでは無いように見えた。
最後にお爺ちゃんの家に行ったのは、もう10年以上前な気がして、よく覚えていない。
その時も、「お前は誰だ?」というような、他人を見るような目で見られたのを覚えている。
お爺ちゃんは、厳しくも優しい人だった。

ICUに1ヶ月ほど居たようだけど、後期高齢者医療制度のおかげで、最大57000円ほどで済んだそうな。
そこからは病院を転々として、3ヶ月ほど経ち老衰でお爺ちゃんは亡くなった。



母からのLINEで、お爺ちゃんの他界の連絡と、もう一つ知らされたのは、弟の離婚の話だった。
悲しい出来事はどうもこうして重なるのか。
「お互いが好き同士なら、そのまま一緒にいれば良いのにね」と母は言う。
お母さん、現実問題、そんなに簡単にはいかないんよ。私だって、今の人と離れたい訳ではないけれど、結婚が叶わない、子供が産めない状況はやっぱり苦しいなぁと思う。
先述のセリフは、余裕のある女性が発言できる言葉だと思う。

離婚の話をLINEで聞いていたけれど、弟の嫁ちゃんはお爺ちゃんのお葬式に来てくれた。
弟の友人から事情を聞いて、弟に連絡を取ってくれたらしい。
お経を唱えてもらって、京都市斎場に向かう。
黒い霊柩車はゆっくりと走っていく。その後ろを、車で付いていく。

お爺ちゃんには、両親が再婚した時に相手の母親について来た、血は繋がっていないけれども兄妹になった姉妹2人がいた。
同性のきょうだいって本当に仲良しだな。
羨ましい。私も弟とは別に仲が悪い訳ではないけれど、やはり異性なので触れれない話題もある。
お爺ちゃんの昔の話を、叔母さんや、母の弟さんから聞く。焼き場でお爺ちゃんが骨になるのを待ちながら、みんなで昼ごはんを食べた。
今日は琵琶湖の花火大会だった。
人を笑わすのが好きなお爺ちゃん。棺の中で目を瞑って眠るお爺ちゃんは、今にも目をパチっと開けて、「実は死んでませーーん!!!!」とか、そんなことを普段言うような剽軽な人だから、本当に燃えるまで生きてるんじゃないか、とか考えてしまった。
しわっしわの顔だったけれど、お化粧をしてもらったお爺ちゃんの肌は最後プルツヤになってて、もはや別人で誰かわからんくなっていて、家族一同笑った。最後まで笑わせてくれるお爺ちゃんだった。

お爺ちゃんの戒名は、修生院法裕寛徳信士 というらしい。
修(おさむ)という本名から、あとは日蓮宗の漢字がいくつか入っているのと、裕と寛は、「心を広く持ってくれるように」と言う意味でお坊さんが付けてくれた。
生前お爺ちゃんとお坊さんは、関係があったようで
母の同級生でもあるらしい(!)
当時色々、お爺ちゃんから怒られた事があったとかないとかで、穏やかな心を持って天に行って欲しいという気持ちが込められているそうな。
おじい…どんだけ厳しかったんや?笑

久しぶりに家族で過ごすと、心が穏やかになる。
東京は基本的に1人で過ごしているので、私はよく自分を見失う。
母を、親を悲しませない為には、何が1番大切なのか。私の希望は押し殺して生きていくのが良いんだろうか。正解をずっとずっと探し続けているが、見当たらない。きっと、この先もこのままでは見当たらない、というか正解なんてないのだ。初めから。
という倫理染みた話をするのにももう飽きた。

天に行ったお爺ちゃんにはもう会えないんだけど、離婚した弟の嫁ちゃんにももう会えないのかなぁ、と考えると
私は日曜日の夜、急に涙が止まらなくなり
扇風機の前で涙を乾かすように泣いた。
2人の問題であり、私が関与する部分でないのは承知している。でも、一度一緒の家族になった身として、やはり悲しいものがある。
家族が減るのは、やっぱり、寂しい
でも、私は弟の嫁ちゃんの幸せを、弟の幸せよりも先に願っている。
弟の我儘が原因で、戸籍にバツを付けることになってしまった事については、姉として、箭野家として、申し訳なく思うから。

母は言う、子供なんて簡単に産めると。
母は、私を陣痛からおよそ3時間で産んだ。弟も同様に。本当に母は強運の持ち主だと思っている。だからそんなに先急がず、悩む必要なんてないと行ってくれる。果たしてそうなのか?いやそんなことはない…

私の幸せは、私が見つけなくてはならない。
どうかお爺ちゃん、導いてとは言わないから天から私を見守ってください。

このまま僕らは大人になれないまま

 


 

私のお気に入りの場所

 

・anneeのパン屋さん

会社から徒歩1分で行ける最高に可愛いパン屋さん

SNSでバズったせいか、春休みや夏休みになると行列ができる。

昔は並ばずにランチが食べれたんだけどな・・・

どんなに行列ができても、バスっても、アネのパン屋さんで働くお姉様方は

笑顔を絶やさず、一人一人丁寧に接客されている。心から、

このお店を愛してやまないのだなと思う。

 

・鳥の木コーヒーさん

お店が小さいので、一人でよく行く。

プリンが程よく柔らかくて、素朴な甘さで美味しい。

コーヒーもアッサリしていて飲みやすい。

お店のお姉さんとはあまり話したことがないけれど、きっと

顔は覚えてもらっているのではないか、そんな気がしてる。

台湾人の留学生が、バイトをしていた。人選も素敵である。

孤独は今日も私を殺す

文脈がぐちゃぐちゃな呟き日記です。

長年コンプレックスだった顎のニキビの原因が、
タンパク質の枯渇という事実を知れた私は、先月から超低容量ピルを飲むのをやめた。
もう死ぬまで飲まないだろう、きっと。

今後の人生について、考える。
去年のブログを読んだら、やっぱり私は寂しがっている。1人が好きなくせに、1人が嫌いなのだ。
誰かに話を聞いてもらいたいくせに、聞いてもらったら「五月蝿いな」と機嫌が悪くなるのだ。
今年32歳になるというのに、私は年々、心が悪い意味で幼くなっている気がする。

夏前辺りに家に迎えたガジュマルの水やりを放棄し、真冬のベランダに放置していたら、見事に枯れてしまった。私は生命力の強いガジュマルすら、うまく育てることが出来ない。
こんな女が結婚出産なんて求めてはいけないと思った。

結婚に現在興味がなく、バンド活動に専念する会社の仲良しな人。幼馴染みの行動力の良さ。
すでに婚約していて、東京で働く友達。
入籍して、ずっと呼んでいた苗字が変わった友達。結婚式は、あげないらしい。

辻村深月先生の「傲慢と善良」を読了。
途中読み進めるのが辛くて、読むのを断念する日があった。それくらい刺さった。
本に出てくる真実ちゃんと自分をどうしても重ねてしまった。京都からこの歳になるまで出た事がなく、親が轢いたレールの上を歩んできた人生。
(途中、就職で踏み外したが…)


先週、彼の誕生日祝いに旅行をプレゼント。
物欲がない人なので、最近は専ら、思い出を作る方に専念している。
遠距離3年目。私は日々限界を感じていて
情緒がブレブレである。でもこれは私は自分が悪いとは思っておらず、相手が遠距離をやめてくれない事が原因だと思っている。
相手が私を狂わせていると。
ただ、一緒にいる時は、楽しいのだ。落ち着くのだ。手を繋いで歩いている時が、この上なく幸せなのだ。あぁ、今日の為に嫌な仕事を乗り越えて良かったなぁと思える。まだそれが救い。
でももう極力、新幹線には乗りたくない。何故なら酷い新幹線酔いを発動してしまうから。
恐らく、血糖値の変動がある時に新幹線に乗ると
インスリンは主に脳から分泌されているホルモンなので、脳(または三半規管?)が新幹線の揺れでダメージを受けやすくなっていて
すぐに吐き気を催してしまうんだろう。
仕事終わりは目の疲れなどもあってか、確実と言って良いほど酔う。だからもう、私は東京へは新幹線で行きたくない。

話が逸れた。旅行へ行った話。
お互いサウナが好きなので、良く2人で銭湯にいく。でも、カップルでサウナに入る事は出来ない。
貸切でサウナが入れる且つ、本格的なサウナが堪能できる場所を探した結果、群馬の前橋市にあるshiroiya hotel を見つけた。
元々あったホテルをリノベーションしたオシャレなアートホテルだった。


マニュアルの車に乗せてもらい、頭文字Dの舞台にもなった榛名湖、伊香保温泉にも行った。



世界って広い。
私はまだ地球のほんの一部しか知らない。
榛名湖は、榛名山の頂上にある湖で、凍っていた。
後から調べてわかったが、氷の厚さは50センチくらいあるらしい。氷が割れないか、ビクビクしながら立ち入り禁止の湖の上を歩いた。


伊香保温泉で食べた玉蒟蒻、これがもうめちゃくちゃ美味かった。1個100円という良心的なお安さ

旅行は良い。いつまでも良い。何歳になっても、色んな地へ足を運びたい。


これは、祇園で適当に入った初めての喫茶店
コーヒーショップマルヤマさん。
私はサイフォンコーヒーが好きだ。理由としては、まず淹れ方。あの独特な、下から上にお湯が上がってクルクル回しながら珈琲を作る方法を見るのが好きだから。あとはアッサリしてる味だから。マルヤマさんも、サイフォン式で珈琲を淹れられている。素晴らし…
そして、うるさくなく、若者も少なく、煙草が吸えるのも良い。カウンター席も多く、1人でも行きやすい。
私は気になるお店は一度しっかりネットで調べてから行きたいタイプなのだが、今回は下調べ全く無しで入ったお店というのもあって、嬉しさが多かった。

新しいものが好きなんだ。
所謂、ミーハーなんだ。
でもそれが自分。受け入れる。

人生は夢だらけ

春が来る。
私が烏丸丸太町に引っ越してきてから、丸3年が経過しようとしてる。
大学事務の仕事を9ヶ月ほどで辞め、前の会社に戻った。給料は相変わらずゴミの低さだけど、こんな才能も資格も何も無い私を置いてくれてる会社には感謝しないと行けないと思ってる。ただ給料そろそろ上がってほしい。

一人暮らしを3年続けると、様々な物が増える。
捨てれずに置いてある衣類、明細書、旅行で買って帰ってきたお菓子の缶、何故か私っぽいからあげるねと言われて沢山もらったマスキングテープ、使い切らない化粧品、アメニティ。

「見せない収納」方法が知りたい。
いや、わかっているのだけれど、物を収納できる棚を購入しないといけない。
そうなると、今年中または来年中におそらく京都を離れる事を考えると、もうこの部屋に新しい家具を置いて買うメリットが見出せない。

この部屋にある殆どは、要らないものなんだ。
本当は全部全部捨ててしまいたい。
服も鞄も靴も、本当はこんなにいらない。

お弁当を週に3日ほど持っていくようにしているのは、外食すると血糖値が下がらないのと、炭水化物の量を自分で調節出来るから。
仕込みのために、向かいのフレスコで沢山食材を買って、一気に惣菜を作る。

一人暮らしをして、料理が好きになった。
なんていうか、自給自足を強く感じれて
自分で作ったお弁当を会社で食べる時は、少し誇らしくなる。自立できている気がして。
通りかかったパートさんに、お弁当の彩りを誉められるのも嬉しい。

一人は寂しい、夜19時くらいまで仕事して
静かな道、一人帰路について
マンションのオートロックを一人で解除して
一人でエレベーターに乗り、玄関を開ける。
会社の人としか話さない。友達と話すのは専ら休日だけになった。
久しぶりに会う友達、仲のいい友達
話すネタが無くなってくる。悲しい。
いや、話したい事は沢山あるのだけれど、相手との共通点が無いので盛り上がらないから難しい。困った。

眠いからそろそろ寝ます。
明日も逃げながら仕事するぞ。

門出を祝うには少しだけ時間がかかりそうだ

おばあちゃんはいつも笑っていた。
いつも本当に笑顔で、優しい。
私が高校生になる前までは、白髪染めを使って
Leonardのスカーフをいつも身に纏って
必ず真っ赤な紅をさしていた。
それはもう、いつディナーの予定が入っても問題ないくらいのお洒落さだった。
CHANELの5番の香水をいつもつけていた。
Leonardは、私が買うようなブランドではない。調べてみると一着数十万はする。
派手なヒョウ柄や、草花のイラストが多く、
コントラストがはっきりしていて、原色が多い。サラサラで、絹のような触り心地だ。
おばあちゃんは、いつもサラサラで絹のような肌だった。

頑固者のお爺ちゃんが5年ほど前に亡くなってから
父はお婆ちゃんの家に週に2回泊まるようになった。「私も貴方を追いかけて早く死ぬ」
そういうお婆ちゃんに、そんなこと言わないで、と声をかけに私は会いに行った。

お婆ちゃんは、たまに私の携帯に電話をかけてくれる。

ーーーーー栞ちゃん、げんきですか?おばあちゃんです。
しごと、いそがしいですか?からだにきをつけてね、またあいにきてね。ありがとさん。ーーーーーー

一方的にお婆ちゃんが喋って、電話が切られる。

父の車の中で、最近流行りの曲が流れると
手を叩いて全く取れてないリズムを取ろうとする。可愛い。お婆ちゃんの頭の中では、ノリノリなんだろう。

そんなお婆ちゃんは、最近、リウマチで
腰がずっと痛いようで、医者から処方された薬を1日3回飲んでいるらしいけど
それでも痛いから、強めの頓服を飲む時もあるみたい。
強めの薬を飲むと、痛みは引くようだが、
意識が無くなるようにコテっと寝てしまうらしい。
リウマチになる少し前に脳梗塞で一度倒れ、コロナ禍は入院していたので面会ができなかった。その後遺症か、左半分が今は麻痺して思うように動かないので
お婆ちゃんの家の中はバリアフリーの手摺だらけだ。

私は、お婆ちゃんを苦しめる痛みから解放したいと思った。神様に、祈る。
どうかお婆ちゃんを苦しませないで。と




今日、弟の結婚式前撮りがあった。
本当は元々出勤日だったけれど、2週間前に急遽母に今日のことを言われたので(何で前々に教えてくれなかったのか…)休みを取った。

お婆ちゃんは、最近ワガママ?になってきてるらしく
腰が痛いから家に来て欲しい、とか、
これが食べたいから今すぐ持ってきて欲しいとか、父が工場で勤務中にも関わらず電話で呼び出すらしい。
今日も前撮りの最中に電話が父にかかってきてて、父は代わりに看護師さんを家に向かわせたらしい。

こういう日は重なるんだ、と父が言った。
新しい家族が増える、でもお婆ちゃんはもう長くないから、会えるうちに会っておけと。



私は、今まで、家族があんまり好きではなかった。いや今も大好きなわけではない。
でも、心の底からやはり大切。
一人暮らしを始めた理由は、自立したかったから。勿論後悔はない。でも、この連休に実家に帰ってきて、本当に私はこの家庭で育てられて幸せ者なのだなと再確認した。
幸せ者なのだ。

お婆ちゃんは、必ず会う度に「ほんの気持ちなのよ」と言って私に万単位のお小遣いを渡してくれる。
30にもなって、これを受け取るのは恥じなければいけない事だと思いながら、でも、これはお婆ちゃんの気持ちなのだから、ありがたい感謝の気持ちで(申し訳ない気持ちではなく)受け取るのが正しいんだと思うようにしている。

お婆ちゃんの手は、冷たかった。
皮膚はカサカサで、指先は切れて、絆創膏が何枚も貼られていた。
私はその手を取って、ハンドクリームとワセリンを塗ってあげた。
「腰痛いかもしれないけれど、きっと大丈夫だから」根拠もない大丈夫しか言えなかった。
今日、弟と弟の嫁ちゃんの前撮りをしてきた話もして、写真を見せてあげた。
お婆ちゃんは、私のスマホを、虫眼鏡で覗いて見ていた。

お婆ちゃんは、泣いていた。
泣かないで欲しい。嬉しくて、泣いちゃったんだろうか。
泣いてるお婆ちゃんを見て、どうして良いかわからないから、兎に角ずっと喋っていた。
お婆ちゃんは、絹の様な白髪になった。
全部の髪の毛が白髪になるのは、結構難しいらしいが、お婆ちゃんの白髪はサラサラでフワフワで、私はお婆ちゃんが昔溺愛していたLeonardの絹のスカーフを思い出した。

お婆ちゃんの抜けた白髪が、カーディガンに5本ほど付いていたので、それをそっと指でとって、自分のカードケースに入れた。
こうしておくと、お婆ちゃんを側で感じられる気がしたから。

私なりのおまじないよ。
きっと、きっと大丈夫。お婆ちゃんは1人じゃないよ。
今度私の彼氏を連れてくるから、まだ向こうに行かないで。
ボケてきて、私の名前を忘れてしまいがちだけど、私はお婆ちゃんを忘れてないよ。





明日は、弟と2人で遊びに行く。飲みにゆく。
いろんな話を聞きたい。
私は自分の家族をもっと、ゆっくり愛していかないといけない。


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忘れないようにここにずっと書いておくけど

久しぶりにレスポールを担ぐと本当に重たくって、よくこんなのを背負って大学行ってたな…と昔の思い出に耽る
あの頃は毎日、大学の授業よりもギターを弾く事に時間を費やしてて、ライブの事ばっか考えてたな

折角奮発して買ったんだし、学生生活の間はほぼ毎日触っていたギターをだけでケースの中に閉じ込めてしまうのも可哀想だし、ここ最近、「趣味」って何なのだろう…と考える事が増えたのでバンドを再開した。勿論、ネットで知り合った人々を募って。

学生時代の時集めていたエフェクター達はもう、練習場のどこかに置き去りにしてしまってそのままで、いつの日か一度卒業してから練習場を見に行ったんだけどなくなっていた…
きっと取られたんだろう…でも学生の誰かが私の機材を使って音楽を楽しんでくれていたら、それで良い気もする。だって社会人になってから使う気がなかったのは事実だから。
って思うけど、タイムマシンディレイだけは取っておけばよかったと後悔。笑
たまにメルカリを開いては買おうかどうしようか悩む。





一人暮らしを始めて丸2年が経った。
初めの頃に比べると、物も服も増え、部屋にスペースがなくなってきた。
でも、彼氏が家に泊まりに来るとシングルベッドに身体を縮めて2人で寝なければいけないのでそれが結構私はキツくて(多分向こうもキツいだろう、すまん)
ついにこの間、セミダブルベッドに買い替えた。これがもう…快適…
2人でベッドで寝ても軽く寝返りを打っても夜目覚める事が少なくなった気がする。

QOLを少しずつ少しずつ上げていきたい。
ニトリで買ったカラーボックスも、本が増えるたびに一個ずつ購入して積み重ねているだけなので、シンプルで華奢で薄めな背の高い本棚にしたい。夢ばかり膨らむ。IKEA行きたい…
でも家具を買うのは、次引っ越す時で良いかなと考える。

あと、ローテーブルも今のやつから新しいのにしたいのと、次はちゃんとしたダイニングテーブルが欲しい。喫茶百景ほどの大きさでなくても、ウッド調温もりが感じれるテーブルがいいな〜