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「あんな事があったね」と笑い合えたら

泣いて歩いた夜もまだ懐かしむ様に

2月下旬ごろの三連休最終日

私は震える声と手で、自分で救急車を初めて呼んだ。

持病の低血糖だった。低血糖の時は、基本的に冷蔵庫に常備してある紙パックの野菜ジュースを一本飲む。凡そ1単位、80カロリー程のブドウ糖、糖質が摂取できるから、甘いお菓子を食べるよりちょうど良いのだ。
その時も普通に私は低血糖が来る事を事前に感じたからジュースを飲んだ。いつもなら15分もあれば動悸が治まるのだけど、その日はいつもと違って、飲んだ後に頭がグワんと、脳みそが揺さぶられたような感覚になった。
血糖値が急激に上がったり下がったりすると、稀に吐き気が襲ってくる。猛烈な吐き気。
立つ事は愚か、頭を持ち上げることも出来なくなるくらいの酷い奴である。血糖値スパイクが出来るだけ起きない様に、ご飯を食べる時は炭水化物からではなく野菜から食べたり、気を遣って入るけれど、それが逆に低血糖を引き起こしたりする。私はその日インスリンを多く打ちすぎていたため、飲んだジュースだけでは充分に血糖値が正常値まで戻らなかったのだ。
尚且つ、唐突にやってきた吐き気のせいで、食べ物飲み物が一切、体に入らなかった。

ヤバイ……このままじゃ意識がなくなって発作が起こる。焦りで寒いのに汗が止まらない。
冷蔵庫に常備してあるジュースを取りに行こうと、ゆっくりと立つ、世界が何回転もして、私はさっき飲んだばかりのジュースを全て吐いていた。
これは本気でヤバイかもしれない…
取り敢えず歩け、歩け、前に進め…
必死な思いで、私は棚の砂糖が入ったキャニスターに手を伸ばす。
床に這いつくばった状態で、指についた砂糖を精一杯舐める…舐めて舐めて、舐める。
それでも私の血糖値は上がらなかった。
2回目の嘔吐。トイレには間に合わなかった。
もう、ダメだ限界だ、脳みそに糖分が足りていない。頭がうまく働かない。死にたくない、死にたくない…身体がSOSを発信している。


こんな時、誰に頼れば良いんだろう。
友達?家族?恋人?
誰が私のそばにすぐ来てくれるのだろう。
119の3ボタンを押すまでの間、
色んな事を考えた。
今後、家族から離れて、私がお婆さんになったら、どうしたら良いのだろう。
家族には迷惑をかけたくない。友達にこんな姿を見られたくない。恋人に取り敢えず連絡をしたけれど、私のタイミングが悪いのか、その時は連絡がつかなかった。
ごめん本当にごめん、救急車よびます
これだけラインで送って、私は一人震える手で119を押した。
意識が遠のくギリギリのラインで、住所、自分の名前を話すのがどれだけ苦しいか。
「やのしおりです」「マノさんですか?」
「やのしおりです!!!!!!!」
この時死ぬほど叫んだ。兎に角早く来て欲しかった。今思えばこれは発作の始まりだった。滑舌も回らなくなってきた頃、電話の向こう側で救急隊の人が落ち着いた声で「取り敢えずすぐに着きますので、玄関の鍵だけは開けておいてください」と私に言う。
私は匍匐前進で玄関前行き、玄関の鍵を開けた。そこから倒れて、次に目を覚ましたのは救急隊の人が部屋に3人いた時だった。

2月の下旬、まだまだ外は寒かった。玄関から入り込む冷たい空気が本当に寒くてブルブルブルブル震えが止まらなかった。後から彼氏に聞いた話だけれど、ベテランの救急隊員1名、若手の救急隊員2名が駆けつけてくれた。
ベテランの救急隊員のおじさんが、寒さで震えるわたしを見かねて、部屋の奥から布団を持ってきてくれて私に掛けてくれた。
若い救急隊員のお兄さんがブドウ糖を3本飲ませてくれたところで、ようやく少し意識が戻ってマシになった。
お風呂に入っていた彼氏からの電話。「今すぐに行くから待ってて」と言って、神宮丸太町から車で駆けつけてくれた。
本当に申し訳なくて泣いた。
私はまだ、私の身体を上手くコントロール出来ていない。低血糖も、高血糖も怖い。
どうして自分だけこんなに血糖値をコントロールしなければ生きていけないの?95%が2型糖尿病なら、どうして私は5%側の人間なの?
色んな事を考えた。慧智が駆けつけてくれたので、救急車に乗る事は無く、そのまま看病してもらった。申し訳なくて、ずっと泣いていた。
次の日、私はまだ吐き気がほんのり残っていたので、事情を話して仕事を休んだ。


その日の夜、横にいた彼氏のお陰で私はだいぶ落ち着いた。「次の病院、俺も一緒に行って良い?」と言ってくれた。私は、まさか自分がそんな事を言われるなんて思ってなかったし、自分の身体の事をそこまで考えてくれる人がいるって事も考えたことがなかった。
自分の身体は自分でしか支えられないと思っていた。お酒を飲んだ日は大目に注射を打てば良い、誰かの食べる物、飲む物に、不完全な身体の自分が合わせるしか、この世では生きていけないとばかり思っていた。
実家では親が好きな時間にお菓子を食べて美味しそうにお酒を飲んでいる。栞ちゃんも食べなよと言ってくる。
食べたいよ。食べたい。私は食べる事が大好きだから。きのこの山も、治一郎のバウムクーヘンも、ケンタッキーも大好き。
何でみんな、平気で私の目の前で好きな物を食べるの?私だって注射をその分多く打てば食べれるけれど、血糖値は安定しないから、やっぱりしんどい。仕方ないと思っていた。
入院していた時も、ハロウィンやクリスマスになれば小児科病棟はとても華やかになり、おやつが食べられるけれど、私におやつという献立は用意されなかった。


好きな人と長く一緒にいたい、私の病気も含めて、私の事が好きだと言ってくれた。お世辞でも嬉しかった。涙が止まらなかった。
友達は簡単に、さっさと子供作って結婚して東京行っちゃえば良いんだよって言う。そう、本当に口で簡単に言う。
私は…血糖値をコントロールしないと、赤ちゃんを作れない。だから、自分の将来に「赤ちゃんをつくる」という未来を想像した事がない。
でもこの人となら、別の未来を作れるのかもしれない。
「普通の人」が「普通に出来る事」は、私にとって「めちゃくちゃハードルが高くて難関な事」なんだ。
私、前世でどんな悪い事したんだろう。前世で悪い事をしたから、私だけ1型糖尿病になってしまったのかな?10万人に1人の病気になってしまったのか?悲劇のヒロインになりたくないけれど、周りに同じ病気の人が少な過ぎて、共感を得れない。

誰にもわかってもらえなくて良いと思っていたけれど、「わかりたい」と思ってくれる人が居てくれてるのだなと、救急車を自分で呼んだ夜に、漸く知る事ができた。

「大変だね」「つらいね」「頑張ってるね」
散々言われてきたこの言葉ではなく、
「一緒に頑張ろうね、まだやれる事は沢山あるから、一緒に頑張ろうね」
共に頑張ろうと言ってくれる人がいるんだな。

1型糖尿病になって、本当は良かったのかもしれない。1型糖尿病だから、この人がそばに現れたのかもしれない。神様が私につけた挑戦状なのかもしれない。


昨日、慧智と一緒に病院へ行った。
誰かと病院に行くのは、お母さん以外初めてで、私が緊張した笑
どうかこれからも一緒に向き合っていけます様に。
少しずつ自分の身体を愛せる様になります様に。
どんなに美味しいご飯よりも、とんなに素敵なプレゼントよりも、今日この病院に行った出来事が一番のホワイトデーのお返しでした。